5月18日 衆議院本会議 金田勝年法務大臣不信任決議案 趣旨説明 民進党 山尾志桜里議員
の一部を書き起しました。
「たとえば、総理は、1月26日の私との質疑のなかで、「組織的犯罪集団にあたるためには「そもそも」結合目的が犯罪実行を目的としていることが必要である」と答弁されました。
しかし、これは正当な組織であってもその性質が「一変」すれば組織的犯罪集団にあたりうるという従来の法務省の統一見解に真っ向から矛盾します。
総理のこの間違いを糊塗するために、政権が必死に準備してきたのが、「そもそも」と言う言葉には「基本的」という意味がある、という答弁でした。しかし、これは、国会図書館ないしメディアの調査によっても明らかなように、現存する15の主要な辞書をひもといても、総理のいうような意味はひとつも存在しませんでした。
つまり、総理の説明は、オルタナティブファクト、ありていにいえば、事実に反する嘘であったということです。
しかし、さらなる追及をうけた安倍総理がしたことは、
「大辞林」に「どだい」という意味があり、「どだい」には「基本」という意味がある。こういう答弁を閣議決定をすることでした。
閣議決定は、こういう目的のためにつかわれるものだったでしょうか?
これは、安倍総理が人を刑務所に送る、刑罰法規の構成要件の文言を解釈するに当たり、間違えてしまった説明を嘘で塗り固め、その嘘を政府が閣議決定で裏書きしたことを意味します。絶対にあってはならない深刻な事態です。
なぜなら、このような閣議決定の名に値しない閣議決定がなされるということが、安倍総理本人に自らの間違いを認める度量がない、ということを証明するだけでなく、安倍総理の周囲に、「総理、さすがにそれは間違っていますよ」というたしなめる存在がいないことを意味するからです。
安倍政権の中には「王様は裸である」と語るこどもがいないということであります。
裸の王様が行政府の長をつづけることの深刻な論点を二点、申し上げます。
一点目は、今回の総理答弁は、今回の刑罰法規の構成要件の文言の解釈に関するものだということです。
刑罰法規の構成要件は、「ここまでは自由、ここから先は刑務所」、こういう線引きをすることによって、人間の自由と不自由の範囲を宣言するものであります。ですから誰にでもわかるレベルの明確性と、誰がいつ解釈しても同じように読める安定性が必要なのです。
しかし、この構成要件の解釈が、自分の間違いを認めたくないという安倍総理の属人的な理由で、変更されたり、混乱したりすれば、明確性も、安定性も、傷つけてしまいます。
明確性や安定性を欠いた刑罰法規は、自由の範囲を不明確かつ、不安定なものにします。
なにをすれば刑務所に行くのかはっきりしないという状態は、迷ったらやめておこう、というふうに、「自発的な自由の萎縮」をもたらし、いったん萎縮した自由を取り戻すのは、並大抵のことではありません。
二点目は、この問題が、安倍政権の「間違いを認めない体質」。そして「この道しかない」と言うスローガンが象徴するように、「自らが唯一、絶対に正しいという価値観」を如実に表しているということです。
人間は間違いを犯します。したがって人間が行使する権力も、間違いを犯します。しかし、安倍総理や金田大臣の発言がどんなに間違っていても、その間違いを真実として正当化していくという手法がまかり通れば、権力の正当性を、論理や事実によって、客観的に判断していくことがおよそ不可能になります。
「安倍総理は間違えない。」
「政府の判断だから正しい。」
これはまさに法の支配ではなく、人の支配への転換を容認することにつながります。
特に共謀罪でいえば、捜査機関、ひいては国家権力の判断は正しいという前提で広範な捜査を許容すれば、社会は変容し、監視網の中で社会の自由はどんどん委縮していくでしょう。
安倍総理には、使い方を間違えば最大の人権侵害を起こしうる刑罰法規に対する謙虚さが見られません。これは、安倍総理が今国会で共謀罪に関して答弁された、「一網打尽にする」、「捜査機関の躊躇をなくす」、こういった発言からも見て取れます。
本法案に対する金田法務大臣の答弁能力の欠如は、
安倍総理によってフォローされるどころか、むしろ法案審議をさらなる混乱におちいれる結果をもたらしています。」
(中略)
「最後に、私たちの社会において、個人の自由と不自由を画するラインは、そこにあるものではなくて、国民自らが引くものであります。この法案は、私たちの社会における自由のラインをどこに引くのか、安全安心のために私たちの自由のラインをどこまで後退させるのか、このことを国民の皆さんに問いかけています。
そして、国会の場は、国民に対して正確な情報を提供し、本質的な問題を提起した上で、 国民代表として一人ひとりがその賛否を明らかにする場です。このプロセスが正常に働かなければ、決定の民主的な正当性は担保されず、ひいては私たち国会議員の存在意義さえも、自壊してしまいます。
しかし、金田大臣は、この大前提を無視し、法案の看板を書き換え、法案審議のプロセスの正当性を汚し、むしろこの法案の本質を隠し続けてきました。
自由と民主主義のもつ核心的価値を理解できない、そして、そういった理解を共有できない法務大臣には、大変残念ですけれども、大臣の職責を手放すことをもって、その責任をとっていただくほかない、と訴えて、 私の趣旨説明とさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。」